「ね〜、なんで〇〇なの〜?」
子どものこの質問、
実はかなり本質をついている
事がおおいんです。
そして、
私が自分を変えようと思った
きっかけの1つはこの質問でした。
「なんで挨拶ってしないと
いけないんですか?」
私はその時、頭をフル回転させました。
「大事にしないといけないものだから」
「人としての常識だから」
「そんなのへりくつだよ!」
どれも本質的に
答えられていないことに
気付きました。
さらに、
「自分の限界を子どもに強制してる」
だけなんだと考えました。
「〜は〇〇と言われているから。」
この常識こそ、子どもの可能性を
せばめてしまうんです。
「なんで勉強しないといけないの?」
「なんでこれやるの?」
という質問に対して、
本質をついた解答ができるでしょうか...?
自分でも
「わからないけど、
周りもこう言ってるし」
「とりあえず〜しておきなさい」
という解答をしていたら
子どもは親に
相談できなくなってしまいます。
では、どうしたらいいか?
答えは
すごく簡単なことなんです。
「わからないことは
一緒になって考える。」
その場で知らなくて恥ずかしいのと
子どもの可能性をせばめてしまう。
どちらがほんとうに
怖いことでしょうか?
「なんで〇〇なの〜?」
またこの質問がきたか!
と思ったら、
「この子は本質をみぬこうとしている...!」
こう、とらえると
子どもが成長していく姿を
もっと楽しくみれると思います。